発達障害 ワンポイントアドバイス(2)両親間の対応のズレと噛み合わなさの増強現象

2021年7月17日

 癇癪をよく起こす子供や、こだわりの強い子に対して、両親の間で考え方や、対応が、大きく割れることがしばしばあります。多くの場合、母親は「寄り添い派」となり、父親は「体育会系のコーチ」みたいになります。これは、思春期一般の発達のプロセスにおいても、両親の間にしばしば生じる現象です。自閉スペクトラムやADHDなどの発達特性や、愛着の不安定さなどがあると、両親の間の「ずれ」「衝突」は、より顕著化します。まず、思春期一般の場合について考えてみましょう。

夫婦の意見の相違は発達促進の原石

 思春期心性とは、子どもの心の中に、大人に向かおうとする、あるいは大人の方向に押し出されようとする、つまり「自立」に向かう力と、他方、いつまでも親に保護される幼児のままでいたいとする「依存」に向かう力が、ぶつかり合い、折り合いをつけることができないという状態であり、周囲を巻き込みながら右往左往するのです。自分で折り合いのつかない葛藤は、やがて彼らのかかわろうとする周囲の大人、多くは、両親の間に投げ込まれます。すると両親は、「見守ればいいのか」「手を出せばいいのか」わからなくなり、「本人の要求を受け入れたほうがいいのか」「厳しく対処したほうがいいのか」わからなくなります。そういう「わからなさ」が、両親の態度を極端化させるのです。

 そこで、①両親の間で「折り合い」をつけること、②両親と子どもとの間で「折り合い」をつけることの二つの折り合いをつけるプロセスが必要になります。そのためには、①②とも、まず、ああでもない、こうでもないと「わからなさ」の中にしばらくとどまることが大事であるという視点を共有することです。次に、相手の自分とは異なる意見を尊重することです。つまり「寄り添い」も、「コーチ」も両方必要なのです。本来、母親の中にも、「寄り添い」だけでなく、コーチ的な「管理的な部分」もあるし、父親の中にも「共感的な寄り添い」もあります。ところが、両親の対立がエスカレートすると、母親は、純粋に寄り添いだけで、父親は、純粋に厳しいコーチだけに見えてしまいます。どちらが正しいか間違っているかではなく、どちらも必要なのです。問題は、今のこの局面で、寄り添いと、管理を、どのくらいの配分でやったほうがいいのかという一点であり、そのための両親の話し合いです。

 そしてその次の段階としては、子どもと一緒に考えるというプロセスです。例えば、不登校の子どもが、一人で泊りがけで、東京にコンサートに行きたいと言ってきたときにどうするか。普通父親は「学校に行ってないないのに、バカも休み休み言え」というかもしれません。母親は「あなたはいつも頭ごなしに否定する。私にだっていつもそうよ。あの子が初めて勇気を出して自分の気持ちを言ったんじゃないの。どうしてその気持ちを大事してやれないの」というかもしれません。しかし、これは両方必要なのです。というのも、彼らが大人になったときに、自分の子どもじみた欲求と、大人としての管理的な部分が、自分の心の中で、折り合いを付けることができるようになることが必要だからです。母親は、子どもには「あなたが初めて一人で行きたいと言ったので、びっくりしたけれど、半分嬉しかった。その気持ちは大事してあげたい。でも、一人で本当に大丈夫かなと当然心配でもある。どうすればいいかね。これはなかなか難しいね。お父さんも、昨日お母さんと話をして、とても迷っていたよ」と、両親も悩み、子どもと一緒に考えて行くという姿勢がしばしば必要です。しかし、こればっかりやっていると「なんて優柔不断な親であるか」ということにもなりかねず、時には、「ダメなものダメ」と楔(くさび)を打って、それで当然起きてくる子どもの様々な反応に、腹をくくって対応するということも必要な場合もあります。

 しかし、なかなか難攻不落な父親もおられるのも事実です。最も手っ取り早いのは、まず、個別のガイダンスに父親にも同席してもらうことです。同席してもらうためには「先生がお父さんの考えも確かに一理ありますねと言っていた。お父さんの力をお借りすることができれば、もっと早く問題が解決するのに、残念ですね、と言っていた」などを繰り返し、ボディブローのように打ち続けることです。家では、お互いにいつものパターンが頑固にあるので、夫婦の中で新しいパターンを持ち込むことは至難の技ですが、面接で、医師や公認心理師(臨床心理士)が第三者として入ると、異なる意見が話しやすいということがよくあります。