大人の発達障害について(2)

2022年4月30日

 前回お話ししたように、一見、社会的に機能しているように見えて実は内的な深刻な空虚感を常に抱えているような方がしばしば精神療法を求めてこられることがあります。しかし、一般的には、少なくとも洞察的な自分の情緒的体験を理解するような、つまり、気づいていない自分の気持ち感情を実感することを目的とした精神分析的精神療法はうまくいきません。


 というのも、こうした人たちが求めているのは、「どうしたらいいか」「何をすれば良くなるか」という幾分直線的な課題解決的なことであり、決して自分の情緒的なことを理解しようとするものではないからです。中には、もっと微妙な方々も居られて、こういう方々は相手・周囲に合わせることが得意なので、一見、洞察的な精神療法がうまくいっていいるかのように見えることがありますが、それは、治療者の期待に上手に合わせているだけなのです。


 しかし、治療が進むと、自閉のカプセルが早晩割れることになりますから、深刻な心身症や、希死念慮などを呈して大変混乱することもあります。ですから、発達障害が大なり小なりパーソナリティの中にある場合は、洞察的な精神療法は一般的には適応ではありません。行うにしても、期間限定で、「時間的な見通し」を立てたり、「全体状況」を理解するということなど、いわばソーシャルスキルを身につけるということの方が役に立ち、ご本人にも喜ばれます。また、そうした面接室の中だけというより、デイケアなどの現実の他者で構成される集団の中で対人関係を学んでいく方が一般的には好ましいといえます。


 そういうことの方がなぜ大事なのかと言うと、発達障害的なものを有している方は、大人になってもいろんな意味で過敏です。感覚過敏だけでなくて、対人関係にも過敏です。傷つきやすく、驚きやすく、想定外の相手の反応に動揺しやすいところが続きます。つまり、自分と異なるもの、他者と出会うことへの過敏さです。これは幼少期からずっと続いており。いわば小さな外傷体験の連続なので、それらに対して身を守るために身につけた方法が、頑なさであったり、こだわりであったり、直線的な思考方法であったりするのです。


 言ってみれば、それらは自分の身を守る「外的骨格」「防護服」「鎧」のようなものです。しかも、発達障害の病理が重ければ重いほど、本人にしか通用しないことが多いものです。こうした外的骨格を、周囲とも共有するようなものに修正、変容させていくことが、極めて重要だと思います。ソーシャルスキルを学ぶというのは、社会で通用し共有することが可能で、他者ともコミュニケーションを可能にするソフトな「防護服」「鎧」を手に入れることなのです。