月別アーカイブ: 2022年4月

大人の発達障害について(2)

 前回お話ししたように、一見、社会的に機能しているように見えて実は内的な深刻な空虚感を常に抱えているような方がしばしば精神療法を求めてこられることがあります。しかし、一般的には、少なくとも洞察的な自分の情緒的体験を理解するような、つまり、気づいていない自分の気持ち感情を実感することを目的とした精神分析的精神療法はうまくいきません。  というのも、こうした人たちが求めているのは、「どうしたらいいか」「何をすれば良くなるか」という幾分直線的な課題解決的なことであり、決して自分の情緒的なことを理解しようとするものではないからです。中には、もっと微妙な方々も居られて、こういう方々は相手・周囲に合わせることが得意なので、一見、洞察的な精神療法がうまくいっていいるかのように見えることがありますが、それは、治療者の期待に上手に合わせているだけなのです。  しかし、治療が進むと、自閉のカプセルが早晩割れる… 続きを読む »

大人の発達障害について

 最近(5-6年くらい前から)、「自分は発達障害だと思うので検査をしてほしい」という、成人の方が受診されることが目立って増えて来たように感じます。私が精神科医になった頃は、大人の発達障害という概念はありませんでした。今の子供の「軽い自閉(ASD)」という概念もありませんでした。  私自身は四半世紀前頃から、児童思春期とともに、大人の発達障害を専門的に診るようになりました。その当時、私の精神療法の師匠でもある、衣笠隆幸先生が、「重ね着症候群」という、一見、神経症や、うつ病や、統合失調症、パーソナリティ障害に見える人たちが、上着の下にもう一枚「発達障害」を重ねて着ていたということを発見して名付けましたが、この臨床概念が、我が国では、大人の発達障害の先駆的な仕事になりました。  この概念は、心の中に、神経症的部分や、精神病的部分とともに、発達障害的部分(自閉的的部分)が存在し、それらが、相互に関… 続きを読む »

小学5年、6年の成長に伴う「むずかしさ」

 「時間」のところで触れたように、小学5年生、6年生となると、微妙な対応のむずかしさに直面することが多くなります。昔は、そのころから言葉が汚くなると言われていました。「クソババア」というのも昔はこの年齢からだと言われていました。ところが、今は、幼稚園年長くらいの子でも母親に「お前に言われたくない。この、ゴミ、クズ。死ねや」などという、会社で大人が同じことを言ったら即刻クビになるような暴言を、パワハラとされずに、堂々を言っているのは世の中では子どもくらいになり、それがどんどん低年齢化しているのを眺めていると不思議な気持ちになります。  さて、小学5年生、6年生になると、「自分」についての悩みがきざし始めます。小学4年までは、極端に言えば、自分の欲しいものが手に入るかどうかという悩みであり、小学5年以降は、周囲から自分はどう見られているのか、あるいは、自分が自分をどう見えているのかということめ… 続きを読む »