発達障害 ワンポイントアドバイス(5)ASD(自閉スペクトラム症)と自己評価の極端な低さ

2021年8月12日

 ASDの子どもが、極端に低い自己評価、自己肯定感を抱いていることはよくあることです。客観的に見て、その子の能力と普段のパフォーマンスと比べて、そうした子どもが、信じられないくらいの低い主観的な自己評価を有していることを知って周囲は驚いたり、戸惑ったりします。その場合、「過敏さ」と「知的な高さ」を併せ持っている場合に顕著に見られるようです。そうした子どもの心では一体何が起きているのでしょうか。まず、そうした子どもは、「ああじゃないといけない」「こうじゃないとあり得ない」という、厳しい要求の縛りがあるようです。周囲にも、彼らが、そうした過大な要求をすることも多いのですが、彼らの経験としては、周囲から過大な要求を常に押し付けられているという風に感じています。実際には、彼の心の中で、暴君的に支配する部分があり、健康だけれど幼い彼自身の別の部分を牛耳っているのです。ASDの治療や支援は、発達特性ゆえの苦手な領域を訓練して膨らませて行くということだけでなくて、こういう彼らの心のなかの健康だけれども幼い脆弱な部分を、どのようにして暴君から解放し、生き生きと育って行けるように援助することにあるかということも大きな意義を有すると思います。そういうプロセスが動き出すと、親の方も、それまでの窮屈な感じかから少し自由になったと感じることがあります。

 暴君的な圧力が、外から自分に働いてくると受け取ると先に述べましたが、それが親であったり学校という組織であったりするのですが、例えば、後者がつのると、学校に行きづらくなります。この過酷な要求をする暴君的な部分の要求に答えられない自分は、「クズである」「生きていても意味がない」というくらい無価値なものとして経験されます。そして、そういうダメな自分が露呈する状況を彼らは死に物狂いで回避しようとします。

 思春期の課題の一つは、通常は、「ダメな自分と感じられる自分も大切な自分であり、それを受け入れること」であり、20歳前後で通常はそれが達成されることが多いのです。しかしASDの子にとっては、それが困難になることがあります。それは、ダメな自分(と彼が思っている自分)を露呈することが、死ぬほど怖く、外では周到に注意して出さないようにするからです。「ダメな自分」と思っている自分の中に、弱い自分や、人に頼る自分や、不安に思う自分や、怖がっている自分や、辛いと感じる自分がいるが、そういう自分を、外に出すことを徹底して回避し、周囲の顔色(自分にとって安全かどうか)を過剰に気にするので、「自分は自分」という、普段着の自分が発達して行くのが困難になりがちです。そのために、自分の気持ちがわからない、自分の感情がわからない。自分が何をしたいのかがわからない、ということになります。つまり、自分が育たない。育たないと、思春期の課題に向き合うことがより困難となるという悪循環があります。そして、しばしば、「ダメな自分」をめぐる、絶望感、悔しさ、傷つき、絶望などを、五倍くらいに膨らませて、母親に投げ込むことがあります。良い経験は見せないで、悪い経験だけ拡大して、母親をゴミ箱のように使うことが良くあることを忘れてはいけません。多くの場合、その背後には、静かに育っている部分があることは多いのです。