大人の発達障害について

2022年4月20日

 最近(5-6年くらい前から)、「自分は発達障害だと思うので検査をしてほしい」という、成人の方が受診されることが目立って増えて来たように感じます。私が精神科医になった頃は、大人の発達障害という概念はありませんでした。今の子供の「軽い自閉(ASD)」という概念もありませんでした。

 私自身は四半世紀前頃から、児童思春期とともに、大人の発達障害を専門的に診るようになりました。その当時、私の精神療法の師匠でもある、衣笠隆幸先生が、「重ね着症候群」という、一見、神経症や、うつ病や、統合失調症、パーソナリティ障害に見える人たちが、上着の下にもう一枚「発達障害」を重ねて着ていたということを発見して名付けましたが、この臨床概念が、我が国では、大人の発達障害の先駆的な仕事になりました。

 この概念は、心の中に、神経症的部分や、精神病的部分とともに、発達障害的部分(自閉的的部分)が存在し、それらが、相互に関係しあって臨床症状を呈するという見方を提示することにつながった点で重要でした。例えば、知的機能が高く、社会機能も維持されている人の中にも、発達障害的部分をいわばカプセルのように隠れて有している人が意外と少なくないということもわかって来ました。そうした人は、仕事を持ち、家庭も持ち、社会的には立派に機能しているのですが、本人にしてみれば、「何か空虚な感じがいつもする」「何をやっても安心感が薄い」「どこか常に体に違和感がある」など、何か心の土台のところでの安定感を実感することがありません。そしてこういう人は、環境の変化や、職を失ったり、頼りにしていた人と離れたりするという、「分離」や「喪失」の経験をすると、突然パニックや深刻な心身症が突然前景化し、一時的に社会機能が全く破綻し周囲から驚かれることがしばしばあります。これは、普段は、心の中の比較的健康な適応的な部分が前景化しており、せいぜい、軽い強迫(几帳面さ)くらいで凌いでいるので、表立って問題はありませんが、「分離」「喪失」により、心の中のカプセルが割れて、内部に格納されていた自閉的部分が前景化してくるからです。

 大人は、発達障害の部分が、軽いものであれ、重いものであれ、子供の発達障害と比べると、発達障害以外の部分がどうなっているのかという目で、立体的に心の中の構成を見ていく必要があるのです。つまり、脳の個性に基づく発達障害による生きづらさを、その人なりに凌いでく生き方の蓄積が、10歳以降はその人のパーソナリティを形成します。そこに無理があるならば、しばしばパーソナリティは不安定になります。思春期以降は、さらに、精神疾患が重畳することもしばしばあります。慢性の軽度のうつ病や、パニック障害、場合によっては一過性の精神病も生じることもあります。

 つまり、大人の発達障害を診る場合、発達障害の部分だけを見ていても、極めて不十分ということです。健康な側面、パーソナリティの特性、二次的な精神疾患の有無なども含めた立体的な見立てが重要になります。「発達障害だと思うから調べてほしい」という大人が受診されるとき、以上のようなことを説明することになります。