思春期における母性的関わりと父性的関わり
 −母子家庭ではどうすればいいのか−

2022年8月31日

 以前にも、何度も、思春期においては、父親の出番は必須であると言ってきました。「母親は、子どもが生まれたときから母親だが、父親は、思春期において子どもと格闘することではじめて父親になる」と、昔思春期の精神科学会で家族療法家として高名であった中村伸一先生がおっしゃったことがずっと印象に残っています。

 思春期のプロセスの中で、母親と泥沼のやりとりの世界から、次第に、父親とのやりとりに重点がシフトしていくことは子どもの成長の場面で多く見られるところです。それは、思春期の子どもの心の中で、「もう自分は大人だからなんでも自分でやっていきたい。やっていかねばならない」という、自立の方向に自らを牽引する大人の部分と、次の瞬間「とは言っても、やっぱり、全部お母さんやって」と幼児のような依存的な部分とのギャップが大きくなり、子どもの心の中では折り合いがつかない状態が起こっているからです。折り合いがつけば十分大人です。そうはいかないから、この状態が丸ごと両親に投げ込まれるのです。

 極論すれば、父親は、子どもの心の自立に向かう大人的な部分を拡張しようとしますし、母親は、子どもの幼児的部分に関わり寄り添おうとします。したがってしばしば、父親と母親は対立します。ひどい場合は離婚に至ることもあります。そうならないためには、そして何より思春期にある子どもの心が発達成長するためには、「寄り添う」母と「体育会系コーチ」の父が、よくよく話し合い折り合いをつけたまとまりのある関わりを生み出していくことが重要となります。しかし、そういう昭和的な「体育会系的父性」を自然に発揮できる父親が果たしてどのくらい「生息」しているのでしょうか。そういう父性は「絶滅危惧種」とも言われます。その傾向があるにしても、母親が一人二役というのは、思春期に入ると困難となりますので、両親が異なる役割を話し合いながら分担するということが必要です。

 たとえば、不登校の子どもが、「大阪であるジャニーズのライブに行きたい」といった場合どうするか。父親は、「ノー」という役割を担って欲しい。「今はダメだけれど、半年様子を見て、今よりも、前向きな姿勢が見られれば、考えてもいい」くらいは言って欲しい。それで、不貞腐れて自室に閉じこもる子どもに、母親が寄り添い、「お父さんもね、昨日ずっと、どうしようか、行かせてもあげたいけどねと、ずっと迷っていたのよ」などと、「親も揺れていた」という台詞も付け加えてフォロー役に回る。両親がお互いの役割を了解し合っていると、このように分担して対応することもできるでしょう。

 それでは、お母さんが一人二役をするほかない、母子のひとり親家庭ではどうすればいいのか、という質問を何度となく受けてきました。目の前に役割分担するパートナーがいなければ、そういう父性を発揮できる対象を周りに探してみましょう。子どもの祖父、叔父も良い役割を果たされるケースにも数多く遭遇しましたし、担任の先生や、放課後等デイサービスの職員、スポーツ教室のコーチ、塾の先生、訪問看護師と、枚挙にいとまがありません。またそうした、一個の人間というだけでなく、思春期の親ガイダンスグループや、ひきこもりや不登校の親の会などの親支援のグループに所属し参加することで、俯瞰的なものの見方、異なる視点などを得られると、それによりご自身の内的な父性との対話が可能になるかもしれません。