発達障害と集団

2022年9月20日

 私の専門の一つは、集団精神療法です。個人精神療法も専門ですが、前者は、後者に比べて、予定調和的に展開しません。何が起こるかわからないという怖さがあります。私も毎回怖い、しかし、その怖さがまたとても好きという気分もあります。病みつきになるということもありました。さまざまな個性が集まれば、また集団ゆえの良い意味でも悪い意味でも全体の「圧」が生じ、あるいは「空気」が濃くなるので、一寸先は闇となり、何が出会い頭に起こるか読めません。一応「定型発達」とされる成人である私でも怖いのですが、想定外のことが起こることにとても脆弱な発達障害の子どもたちが、集団場面で過ごすことは、ことのほか、苦痛と混乱を招くのです。だいたい、幼稚園年中くらいから、そうした傾向ははっきりしてきます。1歳半健診、3歳児健診で何も指摘されなくても、年中あたりから、集団の適応に困難を示して、当院の受診を勧められるという子どもも珍しくありません。

 なぜこういうことが生じるかというと、発達障害ことにASD(自閉スペクトラム症)の子どもは、心のアトピーと言われるくらい、自分と異なる他者や、自分に馴染めない環境に対して、過剰に心の免疫反応が起こります。自己にとって「異物」である他者や、想定外のこと、予定外のこと、馴染めない環境に、行動によるアレルギー反応(癇癪、固まる、逃避する、多動、自傷)を起こすのです。二者関係においてもそういうことが起きるのですから、ましてや、集団においては、そうした反応が大きくなります。そういう場合にはどうすれば良いでしょうか。

 まず、家庭において子どもと遊ぶ場合、ASDで過敏さが強い子は、自分の遊び方にこだわり、親が、異なる遊びの展開を入れようとすると、怒って、それを拒否するということが起こりがちです。この段階では、まずは、子どの遊びに付き合うしかいたし方ありません。しかし、楽しい雰囲気が次第に盛り上がってくると、ストライクゾーンが拡大し、そうなると、異なる要素が入りやすくなります。トラックに粘土を乗せてばかりいるところに、序盤では、お母さんが、「交通事故で傷ついた鹿」を載せようとしても、放り投げるばかりだったのが、鹿をトラックの荷台に置いたまま、救急車に載せ替えしたりという遊びに発展することがあります。こうした、自分の想定とは異なる他者性を受け入れて、それが、そこそこ楽しかったね、というような体験になることが、繰り返し家庭の中でできるようになると、幼稚園でも二者関係が展開します。

 ただし、同じ年代の子どもとの交流は最も「応用編」です。大人は配慮してくれますが、同じ年代の子どもは、そういう意味では、何をしでかすかわからない最も危険な生き物としてASDの子どもに経験されていることが多いです。そういう意味では、小学校以降であれば、放課後等デイサービスは、小1から高校3年まで利用者がいるので、大家族の大兄弟のなかで育つというところがあり、上下の同胞の中で交流する方が、ASDのある子どもにとっては、はるかに交流が楽なのです。