大人の発達障害には、筋トレが効く」というのが私の臨床経験上の現在のところの確信です。筋トレを続けると情緒的に驚くほど安定してきたという大人の患者さんを多く見てきましたが、それはどうしてなのだろうかと色々考えているうちに、回り道をしながら、言語の発生とか、歌の発生とか、あるいは、心身未分化の領域の経験とかについて思いを馳せるようになりました。今回の話は、あまりワンポイントではなく、いわば、発達障害の患者さんと交流している中で、私の中で育まれてきた発達障害の患者さんが何を経験しているのかということの本質を問う哲学のようなものかもしれません。だからあまり役に立たないかもしれません。役には立たないけれど、発達障害の患者さんの経験の本質を理解する上で重要な意義を有すると信じています。
私たちは、突然の悲しみや苦しみに襲われたときに、全身の筋肉を硬くして、うなだれて頭を抱え込みます。あるいは、奥歯を噛み締めながら、拳を握りしめるでしょう。さらには、誰かが、その悲しみの最中にある人を強く抱きしめることもしばしば起こるでしょう。これらは、筋肉を硬くすることで、そうしなければ、溢れ出て、あるいは溶解して漏れ出てしまおうとする心的内容を、抱え込む、抱き抱える行為あり、筋肉と骨格の動きによってそれが構成されます。また、家族の手術を廊下で待っている夫や父親がじっとしておれなくて、廊下を行ったり来たりするpacingという筋肉運動によって、どうなるかわからない不安をそうやって抱えようとする姿です。実はこれらのことは、赤ちゃんがしばしばというか、主たる方法として、情緒的混乱を自力で抱えようとする時に用いる方法と基本的には変わりません(Tustin, Alvalezら)。つまり、大人の情緒的混乱や苦痛に対処するのに、反動形成や抑圧や昇華などの洗練された高度な心理的防衛を、その基盤で支える最も原初的で身体的な防衛方法なのです。それは大なり小なり、どんな健康な人でも、そういう事態は生じています。しかし、この水準での病理が、発達障害の患者さんでは、最も中心となるのではないかと私は考えています。
さて、言語は元々太古の昔においては、おそらく、記紀万葉のもっと昔、言葉はまず何よりも歌であったといいます。今、我々が散文と読んで日常駆使しているものは、かつての日常のコミュニケーションの全てに使われた「(原初の)歌」からすると、単にそれらの瓦礫のようなものだという人もいます(小林秀雄ら)。歌は、まず、嘆きという骨格と筋肉の動作から始まりました。悲しみの最中で、肩落とし、首を垂れ、頭を抱えて、ため息をつく。それでも張り裂けるようで、気分は晴れない。そういう時に、長く長く、嗚咽の混じったため息を出し続けるほかない。それが歌の始まりであると本居宣長は書いています。深い情緒を伝えるコミュニケーションの始まりです。歌は、身振りに支えられ、身振りは筋肉の運動によって構成されます。人がこのように情緒的混乱と痛みに圧倒される時、それが赤ちゃんであれ、少年であれ、大人であれ、それを抱えようとする身振りがあり、筋肉運動があります。発達障害の発達上の固着点はその辺りにあるのであろうと思われます。それが歌の方向に発達して他者との深いコミュニケーションに発達していくのか、それとも、他者との関係は断ち、高い防波堤を作ってその内側に籠ろうとするのかで、その後の発達に極めて大きな差をもたらす。
外に開かれた、筋肉運動として、「歌」へと発展していく原初的コミュニケーションの方向に持っていくためのポイントとしては、まず、二人の共同で行う作業的な身体運動が良いでしょう。幼児であるならば、例えば、それは、ゴムボールの受け渡し、投げ渡しがあり、そこに表情の模倣を付け加えるならば、なおさら良いでしょう。小学校生以降であれば、一緒にお好み焼きを作ったり、洗濯物を並んで畳んだり、肩揉みのしあいこなどが良いかもしれません。コツは、母親がはしゃぐくらい勝手に楽しんで、そのそばに、子どもがいるというくらいが良いのです。
筋肉運動にも、「硬い」運動と、「柔らかい」運動があります。成人であれ、子供であれ、自閉の病理を持つ患者さんは、パニックになった時に、例えば、丸い石や木を握りしめて落ち着く場合と、柔らかい布きれやぬいぐるみなどを触っていると落ち着くという両方があります。前者は、将来、父性につながるものであり、後者は母性につながります。父に叱咤激励をされて背骨を与えられて頑張って乗り切るということと、母の優しい肌で抱きしめられるということの両方が、人が困難に直面するときに子どもであれ大人であれ誰にとっても必要です。丸い石を握りしめたり、柔らかい布を頬にあてたりするのは、自分で、皮膚感覚としての原初的な父性と母性を自ら作り出しているのです。これが過剰になると、こだわりや、強迫の病理を形成する事になります。
思春期以降は、「硬い」筋肉運動、すなわち、筋トレや、短距離のダッシュ、早足で歩くなどが、自閉の病理に伴うパニックへの対処としては有効でしょう。しかし、それにしても、「柔らかい」筋肉運動とのバランスは必須です。思春期以前は、「柔らかい」筋肉運動の方が主たる対応といいって良いかもしれません。大人の場合は、朝から晩まで筋トレなどの「硬い」運動ばかりやることはお勧めできません。交感神経を刺激するべき昼間の時間帯には、せっせと筋トレをやり、夜は、ストレッチングやヨガなどの「柔らかい」筋肉運動を行い副交感神経を刺激することが良いように思います。