心の構造を「二階建て」だとすると、二階部分は、小学入学以降、そしてとりわけ、中学入学以降、何かと課題達成が多くなるというところです。それは勉強にしても、運動にしても、習い事にしても然りです。こうした二階部分で、結果が思わしくないと、自信が低下して、自己評価がガタ落ちし、不登校傾向を呈することも多いのです。逆に、不登校傾向の子どもを見ていると、この二階部分が、心の中で拡大しすぎて、「とてつもない課題を押し付けられている」かのように経験されていることが多いのです。実際には、彼らの心の中に「こうでなければならない。ああでなければならない。そうなれない自分はクズだ」というつよい確信があるからです。過敏な子は、周囲が驚くほど自己評価が低いことがよくあります。すると、親は自信をつけさせるために、二階部分を支援することが多い(特に父親は)のですが、多くの場合悪循環となります。全く「二階」をやらないというのも問題ですが、多くの場合、初期には、まず、心の一階部分を拡充することを主とすることが(のちには、二階と並行して)必要な場合が多いのです。
心の一階部分とは、「ほとんど努力のいらない、頑張る必要のない、世界であり。それでも世界に受け入れられている」ことを感じられる世界です。それは、「美味しい」「気持ちがいい」「楽しい」「ワクワクする」「ホッとする」「きれい」というような、幼児であれ、老人であれ、「良い体験」となる、身体的感覚的な経験です。プチ・ハッピーな経験と言ってもいいと思います。こういうことを、親が子と一緒に共有することに、今一度、エネルギーをかける必要があります。そのためには、「時短」や「介護休暇」を取り、子どもと物理的に一緒にいる時間を確保することも必要なことが多いのです。一階部分の行為は、親も自分の子どもの部分を使って「勝手にはしゃぐくらい」子どもと同じ目線で体験することがコツです。そういう親のそばにいることが子どもにとってどれだけ安心かつ安全に感じられることでしょうか。そして、そういう一階部分を膨らますとき、「こうしたら学校に行ってくれるのでは」という下心を持たないことが重要です。そういう下心を持つと子供は敏感に感じ取るものです。
こうして「ちょっと良い体験」が心の底に積み重なってくると、どういうことが起こるかというと、「良い意味」で適当になります。テストの点が悪くても、俺には抹茶ロールケーキがあるし、まあいいか、という具合に。また、「ちょっと良い経験」が多くなると、ネガティブな経験、つまり、失望、失意、傷つき、悲しみ、不安、恐れ、絶望の情緒を、心の中に置いておくことができるようになります。そして、コミュニケーションを通じて他者と二人で抱えることが可能になります。それは将来、一人でネガティブな情緒を抱えていく能力の土台になるのです。そして、心の一階部分が拡大すると、不思議と、二階部分つまり「ねばならない」の圧力は減少します。すると、学校に行くことも苦痛ではなくなるのです。