発達特性ゆえに人一倍手のかかる、育てにくさを持った子どもの兄弟、姉妹は、家族の中で特有の反応を示すことが多いのです。例えば、幼少期から手のかからない「良い子」で、親の助けもするし、「調整役」にもなってくれるし、消耗しがちな親にとって大変助かる子どもであったりします。しかし、そういう子が、当該の発達特性を持った子が落ち着きはじめると、「今度は私の番」と急に「困らせる子」になったり、あるいは、ずっと成人になるまで無風状態であったりしますが、それはそれで大きな問題です。また、「身勝手」に映る発達特性を持った子どもの言動にすぐに反応して、口論、暴力が絶えないとか、様々な、反応のパターンがありますが、いずれも、長い経過をとる場合が多いこともあり、それにより、同胞の健康な発達が損なわれることも稀ではありません。今回は、同胞について、焦点を当てて述べます。
1)同胞(きょうだい)が経験する「母親の関心と注意の喪失」
児童思春期の子どもにとって、同胞(きょうだい)は、ある場合は憎しみや嫉妬の対象であり、ある場合は唯一の理解者であり仲間であり、ある場合は母親代わりであり父親代わりであり、いずれにしても、親以外の最も近い他者です。したがって、この同胞との関係は、家の中の両親から外の社会の友人関係への移行の橋渡しになるかどうかにおいて、重要になってきます。
同胞が誕生することは、子どもにとって、特に第一子の場合は、それまで「世界の中心」にいたのに、母親の注意と関心を、他人に奪われてしまうという喪失体験です。あるいは、弟や妹ができて、遊び相手ができてうれしいという体験でもあります。どちらが大きいかは、それまで、どの程度母親を独占しないですむようになっているか、つまり、心の中に安定した良い母親像が取り入れられていて、目の前に母親がいなくても、心の中の良い母親像によって、1人でいても、多少の不快や苦痛を、癒されるということが可能になっているかどうかということに掛かっています。したがって、あまりに早い同胞の出現や、本人の素因により、また、養育環境の不安定さにより、しがみつくように母親を求め、独占する傾向が濃ければ、同胞の出現は脅威であり、しばしば、同胞の誕生を契機に、赤ん坊返りをしたり、新たな同胞を攻撃したりします。
同胞の中である子どもが育てにくさを有していて、親の手がその子に極端にかかってしまう場合も、他の子供にとって、「母親の注意と関心」を「失い続けている」という経験になることがあります。そういう子供は、しばしば、「良い子」でい続けることでかろうじて愛情の代用として母親の評価を維持しようとします。そういう子が、「今度は自分の番」とばかり、「困った子」になることは、健康な展開と考えて良いことがしばしばあります。「いつも、○○ばかり大事にして、ずるい」と普段から言えていることも健康です。問題はむしろ、思春期も無風で通り過ぎ、ずっと良い子でい続ける子の場合です。頭が良くて、器用で、少々過敏で、親の顔色をよく見ているタイプの子にこういうことがしばしば起こります。しかし、成人して、職場や、結婚生活での過度なストレスから、精神科的問題を呈することがあります。何れにしても、すべての同胞について、個別に一対一で過ごす時間を確保し、母親の関心と注意がちゃんとあなたにも向けられているということを実感として経験できるように具体的に示しておくことが必要になります。それとともに、発達特性を持つ子どもの身勝手に見える言動が、特有の発達特性による生きづらさに基づいていることをきちんと説明することも大事なことです。前者は、同胞の子どもの部分に、後者は年齢相応の大人的な部分に伝えるということになります。
次回は、「家族システムの中で同胞に割り当てられがちな役割とそこからの解放」をテーマにお届けします。