発達障害 ワンポイントアドバイス(1)発達障害の癇癪(かんしゃく)について

2021年7月14日

 思い通りにならないと、あるいは、思い通りの対応をしてもらえないと、「泣きわめく」、「黙り込んで貝になる」、場合によっては、「壁や床に頭を打ち付ける」などの、とても「激しい」、あるいは、とても「硬い」反応が生じ、しばしば、それが長時間に及ぶことがあります。自閉スペクトラム症でよく見られる現象です。

 そこでは一体本人はどういう経験をしているのでしょうか。「対処」や「対応」を考える前に(対処や対応は、しばしば、非個性的、一般的な関わりになりがちです)、「本人は一体どういう固有の経験をして、どういうことを私に伝えようとしているのか」と、彼らの内的経験に関心を向けることがとても重要です。そして、「癇癪を介して彼らと私との間で一体何が起きているのであろうか」ということも重要な視点です。

 彼らは、とても「過敏」です。「過敏」ということは、感覚的にも過敏であるし、対人関係においても過敏です。彼らは、「心的アトピー」と言って良いくらい、自分と他者の「違い」「ズレ」に過剰に反応します。例えるなら、「非自己」である異物に対する「心の免疫システム」の過剰活動と言っても良いでしょう。彼らにとって、こうした、「自分の感覚とピッタリこない」「ずれ」「違い」に直面することは、足元の床や地面が突然崩れるような体験であり、それは「あり得ないこと」であり、「誰かが悪意でそうしているに違いないこと」であり、自分では対処できない、「言いようのない恐怖」を経験することなのです。そうした経験は、我々の想像をはるかに超えた心の深い水準での経験です。しかし、発達に伴って、「わがまま」や、そういう行動を通じて「相手を支配」するという「悪知恵」が乗っかってしまうので、より複雑になりますが、この「純粋型」を理解しておくことは重要です。

 つまり、癇癪によって、親に伝えようとしているのは、「無力」「絶望」「恐怖」「圧倒される」というような情緒です。こういう癇癪に対応しているときに、どうやっても、何を言っても、変化しないで癇癪が続くと、親も同様に「無力」「絶望」を感じますね。そしてその次に親は怒りを感じます。「悪知恵」が見え見えならば、余計に腹が立ちます。しかし、出発点は、「純粋型」における、「無力」「絶望」「恐怖」「被圧倒感」なのです。それは、自然災害にみまわれたような経験です。そういうときには、身体感覚的な、安心感、安全感の提供が必須ですし、それとともに彼らの経験をなぞる対応、つまり「私たちには普通の感覚ではとても理解できないくらいの深さと大きさで、どうすることもできないような嫌な気持ちに圧倒されてしまっているのかもしれないね」とでも伝えて、あとは、背中をさすったり手を握ったり、なだめたりという、対応くらいができることです。

 子どもの固有の経験を、常識的あるいは自分の知識に当てはめて理解するのではなくて、なんだかわからないものに圧倒されているみたいだが、それって、一体なんだろうかと、関心を向けることが大事です。