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小学5年、6年の成長に伴う「むずかしさ」

 「時間」のところで触れたように、小学5年生、6年生となると、微妙な対応のむずかしさに直面することが多くなります。昔は、そのころから言葉が汚くなると言われていました。「クソババア」というのも昔はこの年齢からだと言われていました。ところが、今は、幼稚園年長くらいの子でも母親に「お前に言われたくない。この、ゴミ、クズ。死ねや」などという、会社で大人が同じことを言ったら即刻クビになるような暴言を、パワハラとされずに、堂々を言っているのは世の中では子どもくらいになり、それがどんどん低年齢化しているのを眺めていると不思議な気持ちになります。  さて、小学5年生、6年生になると、「自分」についての悩みがきざし始めます。小学4年までは、極端に言えば、自分の欲しいものが手に入るかどうかという悩みであり、小学5年以降は、周囲から自分はどう見られているのか、あるいは、自分が自分をどう見えているのかということめ… 続きを読む »

発達障害ワンポイントアドバイス(11)「時間」その②

 親からの分離はもう一度親にくっつかないと先に進みません。発達特性があると、この辺りで登校しぶりが始ったり、不登校傾向になることがしばしばあります。せっかく自分の部屋を作ってもらい、5年生から一人自室で寝始めたのに、また母親にベタベタ甘えてくる。母親の布団に入ってきたりします。こういう時には、「もういいお兄ちゃんなのにやめなさい」と突き放さないことです。だいたい、布団に入ってきたと思ったら、またすぐに出ていきます。「来るものは拒まず。去るものは追わず」という姿勢が最も良いでしょう。  というのも、この頃になると、学校では背伸びして年齢相応の部分を表に出します。他方で、家に帰るととても幼い部分が前景化し、子どもの中で、「大人的な部分」と「幼児の部分」のギャップに驚くことが珍しくなく、発達特性がある場合は、それが、より顕著になります。そして、数時間のうちでもコロコロと、着せ替え人形のように、「… 続きを読む »

発達障害ワンポイントアドバイス(11)「時間」その①

 無意識は無時間的と言われています。要するに、時間が経たないのです。過ぎてしまったことも、また元に戻せるという世界です。ところが意識は、現実に根ざしており、そこでは時間は過ぎてしまうと二度と元に戻ることがありません。「時間」の残酷な一面です。  インドにカーリー女神がいます。赤い長い舌を出して生首を掴んで踊っている恐るべき女神はシヴァ神の妻であり、ヴィシュヌ神の怒りと破壊性の部分の権化です。カーリーは「黒」を意味し、「黒」は破壊を示します。最も破壊的なものは、時間によって変化したものはもう元には戻らない現実であり、全てをやがては破壊してしまう「時間」だと言います。心が成長するということは、過ぎ去ってしまったことは二度と元に戻らないという、時間の現実を受け入れ、悲しむことできる能力を身につけることなのです。  児童精神科医の大先輩の小倉清先生が、ずっと以前、「10歳の時夕日が沈んでいくのを眺… 続きを読む »

思春期のつまずき ④幼児ー母親の再接近期のジレンマ

 思春期は、前に進むことと、後ろに戻りたいことの、二つの折り合いのつかなさに、どう折り合いをつけていくかということであり、「自立」と「依存」の折り合いのつかなさをめぐる嵐のような葛藤であるといっても良いでしょう。幼児の一時期に、この思春期の折り合いのつかなさの葛藤と良く似た、時期が、1才半くらいから3才くらいまでの間で、母子の間でしばしば生じます。これが、「再接近期」と言います。   マーラーというアメリカの子どもを見ていた女性精神分析家が、「再接近期」という幼児の心の発達の一時期を名づけています。その意味は、幼児が、歩行ができるようになると、喜び勇んで、母親の元を離れて、一人で世界を探索し、木の葉や石などの「宝物」を見つけて、意気揚々と母親の元に返ってくるという時期があり、その次に、1歳半くらいから3歳くらいまでの時期に、母親から離れて一人で自由に探索にいくのは、さびしい、でも母親に近づ… 続きを読む »

思春期のつまずき ③赤ん坊ー母親のコミュニケーション

③赤ん坊―母親のコミュニケーション  思春期の子どもに対する親の対応も、基本的には、泣き止まない赤ん坊を抱いてあやすのと同じことです。赤ん坊は、不快や苦痛の体験を泣くことを通じて、それらを母親に投げ込み、母親がそれを母親自身の心の中で「解毒」し、安心かつ安全な体験として、赤ん坊に差し返すのです。いわば心理的、情緒的な授乳です。思春期ではこの、「泣き止まない」「むずがる」が、「悪態をつく」「身体化する」「衝動的な行動に出る」「非行をする」という表現に変わります。  生まれたばかりの赤ん坊は、人生の最初の半年は、母乳か人工ミルクかどちらかにせよ、白く甘い栄養のある液体だけを口にして大きくなります。しかし、それは、物理的な栄養が口にはいるだけではないのです。実際、人工ミルクの哺乳瓶を口にさしているだけでは、子どもの身体の発育はしだいに低下していきます。つまり、口のなかに入るのは、ミルクの物理的な… 続きを読む »

思春期のつまずき ①つまずきの積極的な意味 ②思春期以前の課題への立ち返り 

 思春期のつまずきは、多くは、思春期前期に生じます。中学2年頃から、学校での体験でなにかに修復できないくらい傷ついて、不登校になることが多いように思います。そうすると思春期前期の発達課題がクリアされることが、不登校の解決につながるということです。そして、上記した、思春期中期以降は、ある意味では、その後、本人1人で取り組んでいいくことが基本的にはより可能になります。思春期前期に発達課題でつまずいているということは、それまでの発達課題がクリアされていないということを意味します。しかし、ここで大事なことは、こういうことを言うと、多くの母親が「私の子育てが失敗だった。は母親として失格だ」と自責的になられます。私がお母さん方をみてきて、多くのお母さん方は、ほぼ、母親としては合格点以上なのです。子どもの側の素因による育てにくさ、環境要因による負荷などがあり、親としては合格点以上でも、思春期で子どもがつ… 続きを読む »

一般的な思春期の発達過程 ③思春期中期 ④思春期後期の発達課題

③思春期中期の発達課題 「私は誰」の答えを、自分の心に求めていこうとする時期。異性との交流が始まり、また、進路を巡る葛藤や、家から物理的に離れることをめぐる葛藤、つまり「私はどこへいこうとしているのか」という問いへ現実的に答えていく課題に直面します。  高校生になると、中学生の自分の、外見や身体的なところで体験されがちな「私」の個性が、もっと精神的な「私」の個性として体験されるようになります。いわば、それまで、行動や身体を通じて表現してきたものを、言葉で、「私」を表現できるようになります。 それとともに、異性との付き合いも始まり、「性」が単に身体的なものから、「人」との情緒的なつながりであることを経験し始めます。それはまた、男の子が、男性性を取り入れ、女の子が女性性を取り入れることができてはじめて、異性を受け入れる準備ができるのです。そして、また、大学進学を目前にして、進路をめぐって、また… 続きを読む »

一般的な思春期の発達過程 ①前思春期 ②思春期前期

①前思春期の発達課題  10才から12才、つまり、小学校の5年6年あたりの時期を前思春期と言います。この時期は、心はまだ親の掌にあり、しかし、体は親から離れた存在に急速になり始めます。   前思春期は、いまだ、第二次性徴(声変わりとか、陰毛が生えるとか)が始まらないけれど、嵐の前の予感というところです。大人びた、批判的な言動をしたり、言葉が汚くなったり、いわゆる「自我」が少しずつ目覚めてきます。また、身長や体重が急速に増加し、ひょろ長くなり、心と体の成長のアンバランスが始まります。しかし、まだ、子どもは親の「掌の中」にあり、基本的には子どもは親の制御下にあります。一方で、親離れ、自立、社会化といった方向に進んでいく準備が必要であり、他方、まだまだ、親子の物理的な絆を保持しなければなりません。前者は、親や教師のセイフティネット下での、より自分に似た気のあう友達で構成される仲間集団との交流(共… 続きを読む »

一般的な思春期の発達過程

 思春期の発達過程は、自らへの二つの問いにより、始まります。「私は誰?」「私はどこへいこうとしているのか?」。その問いに、通常でも、10年近い歳月をかけてある程度の答えを探していく旅なのです。親や周囲の大人の期待に過剰に応えることをやめることから、その問いは始まります。親の期待を脱ぎ捨てて、自分が自分に現実的な期待をすることに着替えていくプロセスといってもいいでしょう。親はそのプロセスで、しばしば、子どもに、失望し、困惑し、消耗し、腹が立ちます。あるいは取っ組み合いになります。それは、子どもが自らの問いに答えて行こうとするときの、つまり、なにか新しい命が生まれようとするときの、陣痛のようなものともいえるでしょう。それは、非常に大切で意味のあるプロセスなのです。  思春期の発達課題は、大づかみにいうと、「私は誰?」「私はどこへ行こうとしているのか?」という問いに、自ら、体を張って、試行錯誤し… 続きを読む »

発達障害 ワンポイントアドバイス(5)ASD(自閉スペクトラム症)と自己評価の極端な低さ

 ASDの子どもが、極端に低い自己評価、自己肯定感を抱いていることはよくあることです。客観的に見て、その子の能力と普段のパフォーマンスと比べて、そうした子どもが、信じられないくらいの低い主観的な自己評価を有していることを知って周囲は驚いたり、戸惑ったりします。その場合、「過敏さ」と「知的な高さ」を併せ持っている場合に顕著に見られるようです。そうした子どもの心では一体何が起きているのでしょうか。まず、そうした子どもは、「ああじゃないといけない」「こうじゃないとあり得ない」という、厳しい要求の縛りがあるようです。周囲にも、彼らが、そうした過大な要求をすることも多いのですが、彼らの経験としては、周囲から過大な要求を常に押し付けられているという風に感じています。実際には、彼の心の中で、暴君的に支配する部分があり、健康だけれど幼い彼自身の別の部分を牛耳っているのです。ASDの治療や支援は、発達特性ゆ… 続きを読む »